御言葉メール1071
2021年3月28日
「ですから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。私たちの一時の軽い苦難は、それとは比べものにならないほど重い永遠の栄光を、私たちにもたらすのです。」第2コリント4の16~17
パウロはキリストの福音宣教者として、決して軽いとはいえない苦しみのなかを通ってきました。それは常にいのちの危険を伴うものでした。私がもし、そういう苦しみをしたなら、周りの人と比べて、自分は何とひどい苦しみをして来ただろう、と思うでしょう。
しかしパウロは、自分の経験は一時の軽い艱難だという。なぜそう言えたのか。パウロは、他の人の苦しみと比較したりやせ我慢したのではないのです。彼が見ていたのは、キリスト者があずかる永遠の栄光でした。
だからパウロは激しい苦しみの中でも落胆しなかった。その苦しみが肉体的には衰え、十字架で死んだ生まれつきの野心、欲望という外なる人が無力化されるにしたがって、キリストを信じて新しく造られたいのちである、内なる人は、日々に新たにされていくのです。
内なる人と外なる人の葛藤は、キリスト者の現実ですが、私達があずかる永遠の栄光を思い続ける歩みでありたいと願わされます。