御言葉メール1085
2021年7月11日
「もし誇る必要があるなら、私は自分の弱さのことを誇ります。」第2コリント11の30
私達は自分を人に誇る時、自分が、がんばって出来た事や経歴、家柄を誇るかもしれません。人から、すごい、と思われる事で自分の評価が決まる様に思うからです。
パウロは、コリント教会で、自分に反対し中傷するにせ使徒達が、自慢しあい尊大に振る舞っている事に対して、パウロ自身も誇りたくはないけど、自分も誇るというのです。パウロは誇る事が愚かであると知っていた。だから誇りくなかった。
しかしコリント教会がにせ使徒たちによって、パウロの語った福音から離れていく危機に、もう一度コリント教会をキリストの御名が崇められる教会にするために、愚かにも誇るとパウロは言うのです。
しかし、そのパウロの誇りは、にせ使徒達とは違い、勝利の輝かしさはなく、キリストに敵対する者から苦しめられた苦難でした。それは同時にパウロの弱さであったのです。しかしパウロは、この弱さを誇った。なぜならこの自分の弱さの中にこそ、キリストの力があらわれる。自分の弱さを通してキリストのみが崇められるなら、それこそ誇りと呼ぶものだったのです。
誰の評価を求めるかで、私達の誇りは変わります。私達は誰の評価を求めるでしょうか。