御言葉メール1088
2021年7月31日
「あなたを訴える人とは、一緒に行く途中ではやく和解しなさい。そうでないと、訴える人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれることになります。」(マタイの福音書5章25節)
ここは山上の説教と呼ばれる有名な箇所の一節で、イエスと当時のユダヤ人たちの律法の解釈の違いが明確にされている。
イエスによれば「殺してはならない」という戒めは、殺人という行為のみならず、他人に対して抱く怒りや蔑みなど内面の罪も、同様にさばかれなければならないということである。
その上で、他人との間にいざこざがある者には早急に、迅速に相手と和解することを求めている(23-24節)。
だが、和解と言っても現実的に難しいことが多々ある。心の中で犯す罪は相手に知られることもない。既に断絶してしまった人間関係もある。また、私たちは時々自分自身を正当化し、罪を犯していることに気づかないことさえある。
私たちを訴え、罪に定めるのは神の律法であり、私たちをさばくのも神である。
しかし、私たちと神との間を取り持ち、和解させてくれる唯一のお方がおられる。神に遣わされ、私たちのために十字架につかれたイエス・キリストである。
このお方を信じ赦しを得ることこそ、罪人にとって最優先すべき危急の課題であるということも、上記の御言葉は伝えているのではないか。