御言葉メール1098みことば
2021年10月9日
彼らが「私たちをさばく王を私たちに与えてください」と言ったとき、そのことばはサムエルの目には悪しきことであった。それでサムエルは主に祈った。(Ⅰサムエル記8章6節)
以前使っていた聖書では「そのことばはサムエルの気にいらなかった」となっていて、民が年老いたサムエルや後継者のサムエルの息子たちをリーダーと認めず、王を立ててくれと言ったことでサムエルが腹を立てたようにも受け取れるが、上記の訳(2017年度版新改訳)では少しニュアンスが違う。
実際サムエルが憤りを覚えたのは、自分や息子たちが拒まれたからではなく、主ご自身が言われるように、神が王として民を治めることを彼らが拒んだからである(7節)。
私たちはとかく自分が軽んじられたり、拒絶されたりすると憤りを覚えるものである。
だが神が軽んじられ、神の御言葉に人々が従わないことに対して、どれほど怒りを燃やしているだろうか?
サムエルのように神の栄光が卑しめられた時にこそ、義憤を抱く者でありたい。
またサムエルがそうしたように、どんな問題も感情も、神の御前に持っていき御心を求める、神に祈る者でありたい。