金沢聖書バプテスト教会

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御言葉メール1015

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御言葉メール1015

2020年2月29日(記:斉藤文子)

「イエスは酸いぶどう酒を受けると、『完了した』と言われた。そして、頭を垂れて霊をお渡しになった。」ヨハネ19の30

人の一生はまことに様々で、その与えられた働きも使命も全く違いますし、その使命や役割をはっきりと自覚することさえなかなかできません。それに比べてイエスの生涯は、使命をもたれてこの世にこられ、その使命をことごとく遂行された生涯でした。

イエスは父なる神によって遣わされました。その使命は、人間の罪をご自分の身に負うという方法で、私達人間に、罪からの解放と神との交わりの回復を与えるためでした。その方法が、十字架にかけられて殺される事。それ以外、人間が神に受け入れられる方法はなかった。

完了した」といわれた時、唯一の完全ないけにえとして、ご自分を神に捧げ尽くされたのです。私は、イエスの生涯とその死に方を知る時、人間の姿をとっておられながら、確かにそこに神を見出します。自分をののしり反対し殺す者に敵意ではなく、愛とあわれみを注がずにはおれない。怒りと憎しみ、殺害に満ちた人間を前にして、その人間が神に受け入れられるために、その人のために死のうとされる。

私はこのイエスを思う時、自分がどんなにひどい者か、まことに人の事より自分の事、人のために自分が犠牲になるなんて理不尽、そういう自分を正当化するための言葉もいくらでも思い浮かぶ。何と神なるイエスのことば、行いとは天と地の違いか。しかしイエスを見続ける時、そういう自分を知るだけでなく、悔い改めへと導かれる。願う事は、悔い改めを通して更にイエスの十字架を仰ぐ歩みです。

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