御言葉メール571
2011年2月26日
「わたしは、彼を一つの釘として、確かな場所に打ち込む。彼はその父の家にとって栄光の座となる。」(イザヤ22の23)
私達は、今居る場所、立場 に不満があったり、ふさわしくないのではないか、又ここに居ていいのだろうかと考えたりする事があると思います。
自分に自信がなかったり、疲れたり、人間関係が面倒に思えてくるとなお更でしょう。ところが神様は、私達の思いがどうであれ、あなたを釘としてその場所に打ち込んだのは私である、と言われる。それは、周りの人や小さい物に至るまで全てのものを、どういう形であるかはわからないけれど、あなたによって支えられていくためだ、と言われるのです。キリストという確かな場所に打ち込まれた私達を、神様のすばらしさを上着の様にかける釘として下さる。
でも私達はやはり、置かれた場で迷いながら生活する時もあるでしょう。どうかその時、主が置かれた場所は私達にとって確かな場所である事を、思い出させてくださいます様に。変わる時があるならそれも主が導かれるでしょう。それまでは、今あなたが居る場所が、あなたと周りにとって確かな祝福の場所なのです。