御言葉メール578
2011年4月23日
「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私達は思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし彼は・・私たちの咎のために砕かれた。」(イザヤ53の4、5)
イエスが歴史上の人物だという事に疑いを持つ人は、あまりいないと思います。世界史年表にもその名が記されています。しかしこのイエスが神であると知る人は多くありません。
けれども注意深くイエスの歩みを見てみると、多くの人を助ける奇跡の業とことば、人生の結末に私は人間の性質とは異質な人性に驚かされます。どこまでいっても、自分を中心にしてしか考えられない私達の人間性を、かけらも持っておられない。御自分に敵対し侮辱する者の病や痛みを哀れみ、自分が代わりにそれを負って苦しまれる。しかし周りの人間は、それを神からの罰だとののしるのです。
ののしりの言葉すらイエスにとっては哀れみの対象でしかない。もし私達が自分とイエスの違いに気づけないとしたら、それは私達自身が、あまりにも自分の事を知らないでいる結果ではないでしょうか。この様な人性をもち得るのは神であるイエスただ一人です。