御言葉メール588
2011年7月2日
「わたしの造る新しい天と新しい地が、わたしの前にいつまでも続くように・・・毎月の新月の祭りに、毎週の安息日に、すべての人が、わたしの前に礼拝に来る。」と主は仰せられる。(イザヤ66の22,23)
キリスト者は聖書の神を礼拝する民です。私も神を礼拝する生活を与えられ、日々のデボーシヨンにおいて、日曜日毎の合同の礼拝において、造り主であり救い主である神を崇めています。
ただ身体の疲れ、病、暑さ寒さ、抱える問題等が、この肉体を持って生きている間、必ず付いてまわります。神に心を向けたいと願いながら、そうできない多くのものに囲まれている。その事を認識すればするほど、礼拝を守るために祈らされる日々です。神はイザヤに、今の世は滅びる事、そして新しい天と地が創造され、それは永遠に続くと言われる。
その終末の新天新地において神礼拝こそ人間の栄光であり、罪の残像の影響から全く解放されて、心100パーセント神を喜ぶ事ができる。この希望は私を支えます。今は多くの悩みや迷いの中で礼拝を守っておられる方もあるかも知れません。しかしそれは永遠に繋がる価値ある行為なのですよ。