御言葉メール590
2011年7月16日
「御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。」(ヨハネ3の18)
暑い夏、怪談などで背筋をぞーっとさせる方もおられるかもしれません。罰、たたり、呪いは人間の行いと関係して、人の心の悪を暴きます。
人の行いと関係していると、日常生活の中でも、大変な目にあったり困った事や苦しい事があったりすると、何かの罰かたたりではないかと考えてしまいやすい。全ての人は罪を持ち、その行いは悪に満ちている、と神様は言われる。神様はその罪を必ず裁かれます。しかし罪を憎まれる神は同時に愛の神です。罪を持つ人間を裁かないために、神なるイエスキリストご自身が裁きを受けてくださった。このキリストの身代わりを信じる時、私達の行いや思いと関係なく、決して裁かれる事はありません。
どれほどの困難があっても、苦しみが次から次と襲い掛かっても、それは罰でもたたりでもない。神様の素晴らしさが表れるためです。裁きというのは、イエスキリストを信じれない事です。豊かさや素晴らしい行いができても、キリストを信じない人は既に裁かれています。