御言葉メール605
2011年10月29日
「それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。」(ヨハネ17の21)
ある本に、牧師の説教の最中に牧師めがけて何かが飛んできた話が載っていました。果物だったかナイフだったか忘れたのですが、現実の教会の話です。その教会は様々な人種と貧富の差の激しい人々や障がい者が集っていました。多分、私達の予想をはるかに超える問題を抱えた礼拝だった様です。
その後、教会で問題行動をとる人を支える人たちが起こされてくるのです。その本の詳しい内容は忘れましたが、私は、集う人を排除しない、教会の一致という事を改めて考えさせられた記憶があります。人間はどんな小さな集団であっても、心を一つにすることは難しい。自分達と違う人を排除することでまとまろうとする。クリスチャンが一つとなれるのは、自分達の力ではありません。
キリストに罪赦された者を一つにして下さる神様がおられるのです。その神の愛が、自分と違う人、弱っている人を支えさせてくださる。神とキリストが一つである様に、信じた者を一つにしてくださる。この世には、無い一致を教会は持っているのです。