御言葉メール622
2012年3月3日
「聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。」(使徒20の23)
パウロは、今まで謙遜の限りを尽くし涙の中で、ユダヤ人の陰謀による試練の中で主に仕えてきました。そしてこれからエルサレムに向かう日々においても、何があるかわからないが、どの町でも投獄と苦難がある、ということだけははっきりしている、というのです。
今が苦しくても、将来は楽になるだろう、と思えるのは希望がありますが、これからもずっと、今までと同じいやそれ以上の苦難と死が待っているのです。私など、病気が治らなければ、信じて祈っても癒されない、と文句を言い、自分の願い通りに物事が運ばないと平安が無くなると不安がる。しかしパウロの関心は、自分の問題がなくなり楽になる事ではなかった。
自分を赦しやがて御国に招いてくださるキリストの恵みの中に生きる―パウロにとってこの恩寵の中に生きる事こそ、生きる目的であり働きであったのです。生きる事はキリストです、と告白するパウロのブレない神への信頼は、私には心底羨ましく思えます。どうかキリストからブレる事がありません様に。