御言葉メール641
2012年7月28日
「彼女に穀物と新しいぶどう酒と油とを与えた者、また、バアルのために使った銀と金とを多く与えた者が、わたしであるのを、彼女は知らなかった。」(ホセア2の8)
私達はこの世に命を受け、今に至るまで生きています。生まれた環境に違いはあっても、空気や光、水など、意識すらしないけれども身体に必要なものが、求めなくても与えられている。私達を愛される神は、私達が求める前から何が必要かご存知です。
しかし神の民であるイスラエルは、自分が望む物を得られない時、まことの神を捨て豊作の神といわれる偶像の神に走りました。バアル偶像のために使った銀や金ですら、実は神が与えてくださった物だと知るよしもなかった。私は自分の生活を考えてみる時、イスラエルと同じだなあ、と思わずにはおれません。与えられている環境、働き、健康等、全て神からきていると知ってはいます。
知ってはいても、その知識に信仰で応答しているかというと、そうではないことが如何に多いか。自分を取り巻く全てのものが、神から与えられているものであると感謝して見れる様に祈らされます。物も身体も時間も、自分に都合の悪い事に対しても、神様が私を愛して与えられていると、信仰によって受け止める恵みにあづかれます様に。