御言葉メール753
2014年11月8日(記:斎藤文子)
「これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。」(へブル11の13)
最近、車のラジオから、私たち夫婦が若い時に流行った歌などが流れると、その当時の事を思い出しては二人で話す事が多くなった様な気がします。年をとった事のあらわれの一つかもしれません。
平均寿命からいってもこれから歩む時間よりも、過去の時間の方が長くなってきたからです。更にこれからは、肉体的、精神的、能力的衰えという失うものがあるのに加えて、その延長に死を見つめる時間です。過去が決して楽しい事ばかりではなくても、それでも何とか生きなければ、と言うことが目標であったのに比べれば、これからの歩みはその目標が無くなったかの様に感じられてしまう時間です。
過去の思い出に耽ったり、何の楽しみも無いとつぶやいてしまう。しかし天地万物の支配者である神を我が父として生きる者には、若くても年老いていても、臨終の床にあっても、この世の人生は目標を目指して歩く旅路です。
旅の到着地は神と共にある天の御国です。私の今の願いはーなかなかその様に思えませんがー年をとればとるほど天の御国がますます確かな目標となって、地上生活において神と共にある素晴らしさを味わう事です。