御言葉メール779
2015年5月16日(記:斎藤文子)
「…私は主の前に、私の心を注ぎだしていたのです。このはしためを、よこしまな女と思わないでください。私はつのる憂いといらだちのため、今まで祈っていたのです。」(第1サムエル1の15、16)
エルカナという人に二人の妻がいました。ハンナとペ二ンナ。ペ二ンナには子供があったのですが、ハンナにはいません。ハンナを憎むペ二ンナは、ハンナに嫌がらせをして、いらだたせます。
ある時ハンナの心はひどく傷み、激しく泣いて主に祈るのです。それをみていた祭司エリは彼女が酔っているのではないかと思い問いただした時に、ハンナは冒頭のように答えました。この後ハンナは、エリの言葉に慰めを受け、「彼女の顔は、もはや以前のようではなかった。」とあります。私はハンナの祈りを通して、祈る事を教えられるような気がします。
問題や辛い事がある時に私達は祈ります。その時にすぐ納得したり、答が与えられることが無い時、それでも神に期待して祈り続ける中で、心を注ぎだす祈りへと導かれる。自分の事を振り返ってみると、形式的であったり、また期待がなかったり、或る時は必死になっていたりと様々な状態があります。その中で、ただ神様が心を注ぎだす祈りへと変えて下さる。その時、ハンナの顔がもはや以前の様ではなかったように、状況が全く変わってなくても、私達自身が変えられていることに気がつくでしょう。