御言葉メール838
2016年7月2日
「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」(箴言3章6節)
悪いことに手を染めることを道を踏み外したと言うが、聖書は、悪に走る者たちの道を「曲がりくねった道」と表現する。その道は死に下り、闇につながっている。
反対に、正しい者、正直で潔白な人は、いのちに至る道を歩む。だが、その道をまっすぐにされるのは主である。
私たちはどのような時に罪の誘惑を受けるだろうか?逆境の時、何もかも思い通りにならない時、もしかしたら信仰を空しく感じることもあるかもしれない。だが順境の時はどうだろう?
苦難の時、神に信頼をおき忍耐深く祈る信仰の人が、全てうまくいって何の問題もない時、しばしば神に頼ることを忘れることがある。自分の力でうまくやっていると錯覚するのである。
あの敬虔なダビデでさえ、王国が確立し周囲に危険がなくなったその時、罪に陥ったのである(Ⅱサムエル記11章参照)。
箴言の著者は、このところで「自分の悟りに頼るな。(5節)」「自分を知恵のある者と思うな。(7節)」と繰り返している。
どのような場合にも、自分ではなく主に拠り頼み、自分の考えではなく、主の御言葉に従って生きよというのである。
私も、比較的平穏な毎日を過ごしている中で、錯覚してはいないか?自分を過信してはいないか?本当に主を認めて生きているか?主の前に正しく歩んでいるか?
「(神よ。)私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、
私をとこしえの道に導いてください。」(詩篇139篇24節)