御言葉メール864
2016年12月31日(記:辻嵐桂子)
「『安心して行きなさい。暖かになり、十分に食べなさい。』と言っても、もしからだに必要な物を与えないなら、何の役に立つでしょう。」(ヤコブの手紙2章16節)
ヤコブはここで、行いの伴わない信仰は死んだものであると説く。
決して行いによって救われるのではない。だが行いは、時に信仰の真価を試す。すなわち、神の御言葉を信じ、受け入れ、実行することが、生きた信仰の証しとなるのだ。
御言葉は私自身の行動を顧みさせ、心を探る。
私は、隣人の必要を知りながら、知らん顔していないだろうか?自分の物を(時間を)惜しむことなく与えているだろうか?
えこひいきしていないだろうか?富む者、力のある者におもねり、貧しい者、力のない者を侮っていないだろうか?
神のみこころを完全に行える者などはいない。(イエス・キリストを除いては)
だが神は、みこころを聖書の内に明らかに示され、その御言葉に従い生きるようにと私たちを召されたのだ。
「寄るべのない者をしいたげる者は自分の造り主をそしり、貧しい者をあわれむ者は造り主を敬う。」(箴言14章31節)