御言葉メール867
2017年1月21日(記:斉藤文子)
「神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。これが、私たちがキリストから聞いて、あなたがたに伝える知らせです。」(第1ヨハネの手紙1の5)
私達は、光を浴びるとか光の中を歩むとかいう場合、自分が光の中できらきらしている、くもりも汚れもなく喜びや愛に満ちている状態をイメージするのではないでしょうか。その場合を考えてもわかるのですが、人間は光そのものではないのです。光に照らされて輝いたり、光の中で温まり進むことができる存在です。しかし神は光です。
神は暗いところが少しもない。けれども私達はそうではありません。自分自身の中に暗さを抱えている。病があり悩みがあり、怒りがある。そして死があります。光の神に創造された私達でありながら、光の中に住むことができず、最後には自分の罪の報いとしての死で終わる人生です。しかし光なる神は暗さの中にいる私達を光の中に招きいれてくださる。その時、私達はどうなるのでしょうか。瞬時にして愛と喜びに包まれていく人生に変えられていくでしょうか。
勿論です。ただ、光は私達の闇を明らかにします。光の中を歩めば歩むほど私達の闇は具体的に神と人に対する罪として明らかになってくる。それは自分に失望する時かもしれない。でもそれらのことごとくの罪がキリストによって赦される事を知る歩みこそ、実は神の光の中を歩んでいる事なのです。