御言葉メール919
2018年2月12日(記:辻嵐桂子)
あなたがたの土地の収穫を刈り入れるときは、畑の隅々まで刈ってはならない。あなたの収穫の落ち穂を集めてはならない。あなたのぶどう畑の実を取り尽くしてはならない。あなたのぶどう畑の落ちた実を集めてはならない。貧しい者と在留異国人のために、それらを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。(レビ記19章9-10節)
19章からの諸律法は、聖なる神の民が、聖なる共同体となるための、生活に直結した諸規定である。ここには、安息日の尊守や偶像礼拝の禁止、父母を敬うことなど、十戒と対応している記述も多い。
神の律法は、いつでも貧しい者や弱き者への配慮を欠かない。
搾取は固く禁じられ、賃金はその日のうちに払われなければならなかった(13節)。
障害者への配慮も求められた(14節)。
貧しい者たちのために畑の収穫物を残すよう命じられた(上記)。これによって収入を得る術のないやもめや在留異国人などが養われた。(ルツ記2章等参照)
取り尽くしてはならないという命令は、人の本性に反するものである。
私たちは、少しでも多くのものを手にしたいし、自分の権利は決して侵されたくない、というのが本音ではないだろうか?
あえて残すどころか、少しでも取りこぼしがないように工夫するのが普通である。
神の律法の要求は、私たちが考える善意や親切心以上のものであることは明らかである。
このような律法を実践できる動機は、神への畏れだけである。
イスラエルにおいてはまさに、このような行動の中に、神の聖さや弱き者への神のご慈愛が、反映されたのである。