御言葉メール1002
2019年11月23日(記:辻嵐桂子)
そのとき、カレブがモーセの前で、民を静めて言った。『私たちはぜひとも上って行って、そこを占領しましょう。必ず打ち勝つことができます。』
しかし、彼と一緒に上って行った者たちは言った。『あの民のところには攻め上れない。あの民は私たちより強い。』(民数記13章30-31節)
モーセは主の命により、約束の地カナンを探るよう、12人の者を遣わした(13章1-3節)。
彼らは全く同じものを目にしながら、真逆の結論に至った。
荒野を旅するイスラエルの民にとって、肥沃なカナンの地はまさに乳と蜜の流れる地であった。
しかしそこには先住民がおり、その地を占有するためにイスラエルは、彼らと戦わなければならなかった。
大多数の者が、彼らは強く、装備も十分で、攻め上るのは不可能だと考えた。
そしてイスラエルの全会衆が彼らに同調し、クーデターを起こしてエジプトに帰ろうとの声さえあがった(14章1-4節)。
ただ、ヨシュアとカレブだけは主を信じ、約束の地に上ろうと言った。
この出来事はイスラエルにとって大きな分岐点となった。
偵察に行ってその地を悪く言った者たちは直ちに滅ぼされ、そしてイスラエルの民は40 年荒野を旅し、ヨシュアとカレブ以外のその世代の者は、みなそこで死に絶えると告げられた(14章28-38節)。
彼らの結末を見よ。
目前に困難があっても、大多数の意見が違っていても、それでも神の約束を信じきれるか、私たちはいつでも岐路に立たされている。
それは日常の小さな選択の連続かもしれない。それでも、そこに信仰を働かせているか、神に期待しているか、私たちは常に問われているのである。