御言葉メール1138
2022年8月3日
「アテネの人たち。あなたがたは、あらゆる点で宗教心にあつい方々だと、私は見ております。道を通りながら、あなたがたの拝むものをよく見ているうちに、『知られていない神に』と刻まれた祭壇があるのを見つけたからです。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それを教えてあげましょう。」(使徒の働き17章22-23節)
パウロは第二回伝道旅行でアテネの町を訪れ、町の至るところに偶像があふれているのを見た。
当時のギリシャ社会では、労働は奴隷に任せ、市民は哲学や宗教などについて議論し、日々を過ごしていた(21節)。パウロが語る福音はアテネの人々には奇異で耳新しく、彼らは好奇心からパウロをアレオパゴスの評議所に連れて行った(19-20節)。ここはアテネの町の行政の中枢であり、今日にたとえるなら、国会で演説するようなものである。
教養あるギリシャ人の聴衆を前に、パウロがまず切り出したのが上記の御言葉である。
ギリシャ人と日本人には共通点があるとよく言われる。あらゆる被造物を神格化し、偶像があちこちで見られる点がそうである。
また、よく聞くことであるが、日本の宗教人口を数えると、日本人の総数の倍にもなると言われている。それだけ宗教心にあついとも言える。
だが根本を言えば、人は偶像では満たされないということである。
富国豊穣、無病息災、大願成就、家内安全等々、人は欲望の数だけ偶像を持ち、いくつ持っても満足できず、安心も得られない。
『知られていない神に』と刻まれた祭壇は、ありとあらゆる神々を祀ってもなお、安心できない心の表れである。
パウロはそこを切り口に、天地万物を創られた、唯一の、生けるまことの神を人々に伝えていった。
私たちも、この神おひとりで充分であることを証ししていきたい。