金沢聖書バプテスト教会

金沢聖書バプテスト教会は、神の愛とキリストの贖いと聖霊の導きによって真の神様を礼拝する者の集まりです。あなたを心より歓迎します

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御言葉メール 41

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御言葉メール 41
2004年12月22日
「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。」(ピリピ2の6)
クリスマスおめでとうございます。「いのちのことば」という小冊子に、向谷地生良さん(精神障害者の共同体作業所「べてるの家」、病院のソーシャルワーカー)のエッセイで、テイリッヒ(アメリカの哲学者、神学者)の一文がありました。
「人を愛するという営みは、困難に陥っている人を引き上げる業としてあるのではなく、その中に降りていく業として現されなければならない」それは、まさにイエスが馬小屋の中で生まれ、人々の罪と弱さとみじめさのただ中に生きた姿の中にある、という内容でした。
降りていく業ーこれは私自身の心にズッシリと重くのしかかる言葉でした。どんな人でも、今、立っている場所よりみじめな状態に落ちたくありませんし、今より卑しめられようとは思いません。問題のある所に自分を置きたいとも思わないでしょう。
今よりもっと安全で確実で希望のあるところを目指します。しかし覚えてください。キリストはそうではなかったのです。神である方が、卑しい人間のしかも最も低い姿に降りられたのです。
私達はキリストの卑しさを本当に尊んでいるでしょうか。クリスマスが低くされたキリストを喜ぶ礼拝となりますように。

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