金沢聖書バプテスト教会

金沢聖書バプテスト教会は、神の愛とキリストの贖いと聖霊の導きによって真の神様を礼拝する者の集まりです。あなたを心より歓迎します

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御言葉メール125

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御言葉メール125
2005年10月12日
「ああ、できれば、どこで神に会えるかを知り、その御座にまで行きたい。私は御前に訴えを並べ立て、ことばの限り討論したい。」(ヨブ記23の3,4)
冒頭のことばを吐き出すヨブは、一瞬にして家族、財産、健康の全てを失った人です。それだけでも苦しみの極みでしょうが、それでもヨブは神様を絶対的に信頼し神様との交わりの中で生きていましたので、災いをも全て神が与えられると信じていました。しかし皮肉な事に神への信頼のゆえにヨブは更に深く苦しむのです。神様を一番大切に思い、主との交わりを心から喜ぶヨブは、神から与えられたあらゆるものを失った時、その事は神が自分を見捨てた証拠ではないか、と考えたのです。
神との親しい交わりから自分が絶たれた、なぜ神は自分を退けるのかー神を知る私たちの苦しみは様々でも、本質的にはそこにあるのではないでしょうか。神は私をどうみておられるのだろうかーヨブは友達から見当違いのことを言われ、イライラしながらも、しつこく神に叫び、落胆しながらも求め続けたのです。そのヨブに対して神は真実に御自分をあらわされ、ヨブの思いの深みに満足を与えられました。私たちもそのように神を求めましょう。ヨブがそうであった様に、求める者を満足させないで去らせる事は決してなさらないのが、神様なのです。

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