金沢聖書バプテスト教会

金沢聖書バプテスト教会は、神の愛とキリストの贖いと聖霊の導きによって真の神様を礼拝する者の集まりです。あなたを心より歓迎します

201~250

御言葉メール234

投稿日:

御言葉メール234
2006年11月22日
[彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、わたしたちのすべての咎を彼に負わせた。]イザヤ53の5,6
ナザレの大工の息子イエスは神であったか、この問いは時代を超えて論争されているところです。それに対しては聖書全体の中から多くの論証が成されています。私自身はこのイザヤ書53章のメシア預言と呼ばれる、イエスの姿の中に人間には絶対不可能な、救い主としての姿を見るのです。人間を造られた神でなければ、自分勝手な人間のために、自分を犠牲にして平安を与え、罪の罰から救おうなどとは思わないでしょう。
しかもこのメシアの姿は、人間がこんな状態にだけはなりたくない、と思われる究極のみじめさと恥ずかしさの中にあります。天地万物の創造者にして権威ある神は、罪ある人間の救いのために、人間のしもべになることもできる方なのです。人間にはできない神の愛の業、これが私に平安をもたらしました。

カテゴリー

-201~250

Copyright© 金沢聖書バプテスト教会 , 2018 All Rights Reserved Powered by STINGER.