御言葉メール613
2011年12月31日
「聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを
見て・・・」(使徒行伝7の55)
私は最近、自分はどういう終わり方をするのだろうかと、しばしば考える様になりました。病死、事故死、信仰の迫害で死ぬ事は、私の様な信仰の弱い者にはないだろう、とか。いずれにしても死への恐れ、不安から守られる様に祈らされます。
冒頭のステパノは、イエスを救い主と認めない議会で説教しています。ユダヤ人の待ち望んでいた救い主がイエスであり、そのイエスが天において神の右に立っておられる、と話すステパノにユダヤ人議会は激しい憎悪と憎しみにかられ、怒りに歯ぎしりするのです。しかしステパノは、この絶体絶命の只中で天を見つめる。キリストを仰ぎ続けた生活は、最後の時までキリストを見続け、満ち足りていました。
ステパノは石で打ち殺されます。天を見つめる(キリストを信じる)生活は、人生の最期においても、自分の状態や状況の如何を問わず、神様の絶対的な守りの中に置かれているのだ、と私にも確信と安心を与えてくれます。来年も天を見つめつつ、人生の最期まで励ましあえます様に。