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神の御心と人の思いは異なることが多い

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神の御こころと人の思いは

異なることが多い









 信仰告白又はキリスト教教理において聖書的であっても、実践において、異教的であったり、非聖書的であったりすることがあります。具体的には、正しく告白していても実際生活においては、背に腹は代えられないと言って、神に委ねようともしない事です。また神のお言葉に何も制約されない考え方と生活態度をとることが出来るということです。神を中心としているのか、自分の心を中心にしているのか、神に喜ばれることを大切にしているのかを、良く吟味しなければなりません。例えば、私たちが、救い・悔い改め・成長等は、神がなしてくださると告白します。しかしあれでもクリスチャンかと主にある兄弟を非難するならば、み言葉に立っていないのです。



 私たちは、このような姿勢(信仰生活)に少しも違和感を感じない位に、聖書から遠ざかっていないでしょうか。私たちは、聖書を学びながらも、神よりも世を基準とした生活になっていないか、自己吟味する必要があります。



 私たちが、実際生活において、信仰生活が貧しくなるのは、聖書を学ぶからではなく、実際生活と聖書の学びを、全く別のものとしてしまうからです。ですから、聖書理解と実際生活とが一致しないことに悲しみを持つべきなのです。



 聖書を学ぶことは、信仰生活を体系化し、確立させることです。聖書を学ぶ事の目的は、聖書の教えに従って生きるという事がどういうことなのかを考えることであり、知ることなのです。神の側に立った視点でこの世を見る事です。つまり聖書的世界観を持つことです。私たちは生まれながらの罪人ですから、自分の視点は、いつも罪の影響を受けたものとなっている事を自覚しましょう。つまり様々な間違った考え方、歪んだものの見方をしているのが私たちなのです。クリスチャンになったからといって自動的に、神の視点(聖書の価値観や見方)を持てるわけではありません。



 むしろクリスチャンとして生きる為に、自分の歩み、考え方、感情、それらを吟味しなければなりません。自己吟味しただけでよいのではありません。クリスチャンとして生きるとはどういうことなのかを、指し示す方向性を理解しなくてはなりません。その方向性を持たせる(その為には神の御旨を体系的に理解する必要があります)のが、聖書を学ぶ(神学する)という事なのです。これが欠けると私たちは、知らず知らずのうちに異教世界の習慣や文化、感覚、感情に支配されて、神の御こころを行っていると信じながら、聖書と違った生活をしていることがあるのです。そういう信仰者生活は、キリスト教的装いを一部しているだけとなってしまうのです。



 次に異なる教え(異端やこの世の哲学など)を見分ける為に聖書を学ぶ必要があります。この時代は、本当に数多くの教えや考えがあります。又感覚があります。そしてそれは、吟味する時間もなく、次から次へと洪水のように押し寄せてきます。実際に現代人は、情報の洪水に押し流されています。そして藁を掴んで、沈んでいくのです。キリスト者は、しっかりとした岩の上にたっていなくてはなりません。ここに岩があることを指し示さなくてはなりません。これが、証しなのです。何が正しく、何が誤りで、何が必要で何が必要でないかを判断する為に聖書の学びが必要なのです。

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