6 聞き上手になるための条件
1、 SST(social skills training)とは、
ソーシャル・スキルズ・トレーニング(社会生活技能訓練)のことです。
統合失調症(精神分裂病)を患っている人も完備されたリハビリテーションのプログラムに参加する事により、いろいろな生活技能を修得することが出来るのです。これは、身体障害者が、様々なトレーニングを積むことによってより社会生活が主体的になってゆき、活動範囲がより広がって行くのと同じなのです。しかし、精神障碍者のリハビリではその方法がかなり違っています。それは、物理的障害(物理的バリアー)ではなく人間関係における障碍ですので、その社会技能訓練も人間関係訓練というのになります。
その事が最も研究されている分野としての生活技能訓練(SST)なのです。
「SST」は、社会生活技能といって、受信・処理・送信の三つの技能をさし、それを訓練(トレーニング)して、より良い人間関係を創り、再発防止や、生活の質の向上をねらうものです。この三つの技能は、病気の有無に関係なく、私たちの生活に必要なものです。例えば、誰しもが一番簡単だと思っている受信について考えてみましょう。
例1:Tさん(ご本人・女性)の話
Tさんは夕方になったので、「お母さん暗くなったね」と言いました。台所でようをしていたお母さんは、「電気くらい、自分でつけてよね」と言いました。Tさんはそのとき、手を伸ばしてスイッチを押そうとしているところでした。それを見ていたら問題はなかったのですが、Tさんは(親はいつも私の気持ちを分かってくれない)と受け取り、鬱々とした状態になってしまったのです。
こんなことはいつも私たちも経験することです。お母さんは、(「暗くなったね」って、きっと私に電気をつけさせる気だわ。いつもそうなんだから、全く依存的で困った子だわ。親亡き後どうするつもり!電気ぐらい、自分でつけさせなくちゃ)と考えてしまったのでしょう。
子どもを見る親の側に<この子は依存的でいつも親にさせる>という、決めつけや思い込みのフィルターがついていると、そこを通る<暗くなったね>というなんでもない言葉の意味が歪められて、ただしい受信ができなくなり、トラブル発生となってしまうのです。
フィルターとは、決め付け、思い込み、癖とか、色眼鏡、ものさし、価値観など、多々あります。これは受信する側だけでなく、勿論送信する側にもついているので、コミュニケーションはややこしくなるのです。この両者のフィルターの為、誤解が生じ、いさかいとなり、私たちは疲れるのです。
この仕組みが分かると、ご家族も、送信技能だけが問題ではなく、実は受信技能も大問題だったと、気付くことでしょう。
2、 良い聞き役になること
「ぜんかれん」誌に、当事者の<家族に対する希望>についてのアンケートが載っていました(1996年9月号)。上位三つが、「もっと私の気持ちをわかって欲しい」「口やかましく指示しないで欲しい」「私を傷つける様な言動をしないで欲しい」でした。
ご本人たちは、絶えず人の愛を計っている、とても敏感な方々です。自分の気持ちが分かってもらえて、大事にされていると思うと安心し、そうでなければ不安になるのです。一人のご本人が次のような言葉を話してくれました。
「雨が降ってきたときに・・・、傘を貸してくれるのではなくて・・・、一緒にぬれてくれるほうが嬉しい。元気が出る。」・・・傘とは、助言、援助、解決法などを指します。辛い時、それらよりも辛い気持ちをそっくり分かってくれるほうが、より嬉しいといっているのです。心をつかむキーワードです。
宮内勝先生は(精神科ディケアマニュアル)(金剛出版発行)という本の中で、家族が出来る重要な治療的役割として、"良い聞き役になること"と述べられています。言い換えれば、"家族が上手に聞けるようになると、ご本人の治療が進む"ということです。家族もご本人も、願っていることが、上手な聞き方から始まるとしたら、その技術を身につけましょう。そうすれば、相手は必ず変わります。
3、 良い聞き方とは
① 相手が話しやすいように、相手のほうを向き、嬉しい話には嬉しい表情で、くらい話には暗い表情で、相手の話の合わせて話を聞きましょう。あいづちもいろいろあります。楽しい話にはすぐ、深刻な話には少し間をおいてなど、間の取り方、声の調子も大事です。視線に聞き方の真剣さが表れます。でもたまには視線を落としましょう。お互いにホッとします。
② 相手の言ったせりふを、時々そのまま相手に返しましょう。なぞるともリピートするとも言います。「あなたはこれこれ(相手のセリフ)と思うのね」と。それが相手にとって、きちんと話を受け取ってくれたと分かる大事な、フィルターを通さない聞き方です。「暗くなったね」には「そうだね、暗くなったね」でいいのです。そう思わないときは「えっ暗くなったと思うの?私はそう思わないけど、どうかした? 」と続きます。
例1:Mさん(父親)は息子さんと会話ができなくて、いつも歯がゆく思っていました。SSTで訓練した日、おりよく息子さんが話しかけてきました。セリフはいつも決まったせりふです。「お父さん、僕赤ちゃんみたいだろう?」いつもは「そんなことはないよ」で終わりでした。その日は「お前は、自分のこと、赤ちゃん見たいって思ってんのかい」と返せました。
するとそこから会話がつながったのです。「そうだよ。」「そうか。でもお父さんは、お前のこと赤ちゃんみたいって思わないよ」「どうして?」「どうしてって、お前はコンビニに一人で行けるし、親がいないときは冷蔵庫開けて自分でちゃんと食べれるし、赤ちゃんはそんなこと出来ないよ」「そっかぁ!」息子さんの表情はとても晴れやかでだったそうです。Mさんは(SSTは魔法みたいだ)と思ったそうです。そのくらい、会話のやり取りが嬉しかったのです。この日から、息子さんはMさんに心を開き、自分の思いが言えるようになりました。
この相手のセリフをなぞることは、信頼関係をつくるためにとても効果があります。相手は私の話を真剣に聞こうとしている、私は大事にされていると感じ、話を聞く方は、相手のセリフをなぞることで相手の気持ちが良く理解できるようになり、共感の言葉が言えるようになるのです。共感とは、「困っているんだね・」「嬉しいのね」「良かったね」「神様の恵みだね」などです。
例2:共感の良い例があります。Nさん(父親)は、いつも息子さんの言う妄想を取ってやりたくて、息子さんの妄想を否定していました。SSTで学んでからNさんの対応が変わりました。「そうか、お父さんには見えないけど、お前はこの部屋に隠しカメラや盗聴器があるって思うんだね(息子さんのせりふの繰り返し)。だったら怖いだろうな(共感できた)。でもお父さんが守ってあげるよ(安心をあげる)」――Nさんを嫌っていた息子さんは、Nさんを信頼し、今はいい関係になりました。
相手の言葉を覚えきれなかったり、忘れてしまった時には、臆せずに「で、何だったけ」と聞きなおしましょう。これがまた、相手にとっては嬉しいことなのです。いいかげんじゃない聞き方だと感じ、愛されていると思うのです。
この反復確認とも言う、相手のセリフをなぞることは、私たちが成長する過程で親からされていない(助言や支持や批判や叱責などが多かった)ことなので、「やるぞ!」と意識しないと出来ないと思います。でも続けるうちに、本物になりますから、是非祈りつつ試みてください。
③ 相手のいう話がもっとはっきりと理解できるように、質問するのです。
「具体的に言うと?」「どんなところが?」「どんなふうに?」「どうして?」などです。鳥になりたい、犬になりたいと言われて、難題だと困ってしまったご家族がいらっしゃいましたが、わからない時には率直に聞いたほうが早いですね。「どうしてそう思うの?」の一言から、現在の悩みからリハビリの目標までの様々な思いを取り除くことが出来るでしょう。
聞き方としては、まだ続きがあるのですが、家族カウンセラーではないので、日常の会話でここまで出来れば大成功です。信頼関係は出来ます。この関係ができた上で、親からのメッセージを伝えれば、かなりのところでご本人は聞いてくれるはずです。好きな人の話は聞こうとするのが人の妙なところですから。
また、話が聞ける自分になり、良い関係になります。「聞くは宝」です。そして、どうしても言いたい時は、この話が最後なったように、話をきちんと聞いたあと「私ならこうするけど」と助言提案してください。
尚このノートは、「財団法人 全国精神障碍者家族連合会」が出版しております機関誌「ぜんかれん」を参照にしております。
ヤコブの手紙1章19節
愛する兄弟たち。あなたがたはそのことを知っているのです。しかし、だれでも、聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい。
ある人から次のような質問を頂きました。「人とのかかわりの基本は、聖書の中から導き出せるものと思っているのですが、SSTとどのように接点を見つけていったらよいのか」について。
繰り返し先申し上げますが、私も理解しているつもりでも現実は失敗の連続です。でも自分が娘に対しての接し方が不適切で、娘を大切にしていることが伝えられなかったのです。私の接し方が不適切であった、と言う理解は、この学びをして理解したところなのです。もし、この接し方を少しも知らなかったならば、きっと自分をいつも正しいとして受け入れられない娘を責めていた事と思います。結局コミュニケーションは取れないまま、終わってしまっている事と思うのです。
そして、自分の娘に対してさえ、愛のない、罪人である事を示され、キリストの愛の深さ、広さ、そして豊かさを知り、その愛を無償で受けているのですから、愛する事の大切さを切に思い、悔い改めと、新しい歩みへの決に再び立たせられるのです。
ですから人間のかかわりの基本は、やはり聖書の中から導き出せるものですし、またそこに立たなければならないと信じるのです。
2003年3月