金沢聖書バプテスト教会

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神のかたちに変えられる試練

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神のかたちに変えられる試練








 神としての御力は、いのちと敬虔に関するすべてのことを私たちに与えるからです。その栄光と徳によって、尊い、すばらしい約束が私たちに与えられました。それは、あなたがたが、その約束のゆえに、世にある欲のもたらす滅びを免れ、神のご性質にあずかる者となるためです。」 2ペテロ1章3〜4節



 この御言葉は、私をもう一度、何が神様からの恵みであり、祝福であるかを思い起こさせてくれました。私たちは、自分の今の願いがかなえられる事が、神から与えられる恵みであり、祝福であると、つい考えてしまいがちですが、この御言葉は、はっきりとそうでない事を教えてくれます。信仰が与えられる事、その与えられた信仰によって、神様が私たちを変えてくださり、いのちと敬虔に関する全ての事を教え、神様の御性質に預からせて下さる―これが神様からの祝福であると。



 私たちは、全く自分中心という性質を持って生まれ、それ故、生まれながらに怒りの子(エペソ書)です。自分を守り、正当化するためにあらゆる画策をしながら(それは意識しなくてもできることです)、自分に都合のよいように事を運ぼうと、意識するまでもなく動いています。そういう自分に気づかされても、自分で自分を変えることもできない。(もし変える事ができたと思うなら、そこには人を見下し、自分を高める高慢が入り込む事になります)



 そういう私たちが人を憎んだり、怒ったり、うらやんだりする事に苦しみを覚えたり、愛せない自分に失望したり自分を守る為に、平気で人を傷つけてしまう事に、辛さを覚える時、又、そういう自分に気づいていく時、辛い事ではあるけれども、それが神様の御性質に預かる者となっていく事です。



私たちは、その辛さを主に祈る日々の中で、ある時、主が自分を変えて下さっている事に気づく時もあるでしょう。自分が人から、どの様に言われ、扱われても、全て天の父なる神が、ご存知だという事を覚えて、平安が与えられたり、又善い事も悪い事も明らかにされる主に期待して、たとえ人が見ていなくても善を行い続ける力が与えられたり...このように罪を教えられたり赦されている事を感謝できたりする事そのものが、主の祝福であり、神様の御性質に預かる事を確認させられました。私たちはすでに、神様の豊かな祝福の中に生かされているのです。





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