御言葉メール207
2006年7月26日
「彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上のことだけです。」(ピリピ3の19)
この言葉はパウロが十字架に敵対して歩んでいる人のことを言っている箇所ですが、私はむしろ、イエス様を信じてから、自分が上記のみことば通りの人間であることに気づきました。
クリスチャンとして生活し、神を求めたいとそれなりに願いながらも、その中でわかってきた自分の姿は、神を求めるどころか、神様を自分の欲望の手段にしようとする心でした。自分の願いが聞かれない、祈っても何にも事態が変わらない、神様は本当に居られるのだろうかー求めていたのは、自分の生活の快適さや安定、理性の納得でした。
それは自分の欲望であり、その欲望が成る時は、感謝ではなく自分を誇ります。自分を誇る栄光は、実は自分の恥だと知ることのできる人が居るでしょうか。神を知らない限り全く不可能なことです。神という絶対的基準を知り信じれた恵みの中にのみ、自分の姿を知りつつ、自分の欲望ではなく神のみこころを求める生き方が存在するのではないでしょうか。人の思いと力を超えた恵みがここにあります。
御言葉メール207
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