御言葉メール246
2007年1月3日
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」ヨハネ3の16
交わりの中で、よく話し合うことがあります。こんなに長い間、聖書のことばと教えを聴かされていながら、何故すぐに忘れてしまうのだろうか。
滅びを免れないほどの自分の罪、その罪の結果の永遠の裁きから救いだそうとされる神の愛、そのために神のひとり子、神ご自身が自らを罰せられた、悪い者がその犯している罪のために裁かれるのではなく、罪のない神が、罪を犯し続ける人間のために罰を受けられたー冒頭のみことばが表している、邪悪なこの世に対する神の愛です。聖書全体はこの愛に貫かれた神様の人に対する想いをつづった書といえます。
しかしこういう愛を受けながら、頭で理解していても、その中に生きる事のむずかしさ、いいえ不可能さ。神に頼るより先ず自分でという神への無視ーしかし神はご自身がどのように扱われても私たちを愛せずにはおれないのです。この愛を生活のあらゆる所で思い出すことができますように。その為に聖書の言葉を心に留められます様に。
御言葉メール246
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