金沢聖書バプテスト教会

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御言葉メール574

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御言葉メール574

2011年3月26日

「ああ、私の苦しんだ苦しみは平安のためでした。あなたは滅びの穴から、私のたましいを引き戻されました。あなたは私のすべての罪を、あなたのうしろに投げやられました。」(イザヤ38の17)

私はささやかな信仰生活の中で、この苦しみやあの辛さがなければキリストの救いの恵みを今の様には感謝できなかっただろうな、とよく思います。

ユダのヒゼキヤ王は、病が癒され、神が命を長らえさせて下さると知った時、冒頭の様な感謝を捧げます。病の癒しはヒゼキヤにとって、罪の赦しの告白でもありました。ある注解者は「神は彼の罪を、いわば肩越しに投げ捨てるのであり、もはや罪に目を留める事はない」と言います。その人の全存在の悪と罪を知っておられる神が、人の罪を忘れて下さる。死ぬ、という苦しみの中で、ヒゼキヤは罪が赦される平安を知ったのでした。

私達は一人一人、悩みも苦しみも違いますが、それをもって神に向かうなら、ヒゼキヤの告白に辿りつくでしょう。それは「神の絶対的主権の前に、ただ沈黙したたましいに、神の一方的な恩寵によって示された啓示・・」と、鍋谷堯爾師が言う、驚くべき恵みです。

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