御言葉メール585
2011年6月11日
「まことに、あなたは私たちの父です。たとい、アブラハムが私たちを知らず、イスラエルが私たちを認めなくても、主よ、あなたは、私たちの父です。あなたの御名は、とこしえから私たちの贖い主です。」(イザヤ63の16)
冒頭のみことばは預言者イザヤのとりなしの祈りです。イスラエルの罪があまりにもひどく、自分達の先祖にアブラハムやイスラエルの様な信仰的に祝福された人がいたなど、おこがましくて言えない様な状態であっても、それでも、あなたは私の父です、と告白します。
自分達イスラエルがどんなにひどくても、その罪を救う方こそ、神様あなたではないですか、と。私はイザヤが父である神しか私達を救う事はできない、そして神は必ず救われる、という神理解をもって、神様の前に臆する事なく祈る姿に励まされます。この様に祈ってよいのだと教えられるのです。
自分はもうダメだと失望落胆していても、自分だけは赦されないのではないか、と思う時も、それでも神様、あなたは私を造り、キリストの贖いにより救って下さった、あなたが私を立たせて下さい、
と祈れます。キリストの贖いに赦せない罪はありません。