御言葉メール614
2012年1月7日
「彼(コルネリオ)は敬虔な人で、全家族とともに神を恐れかしこみ・・」(使徒行伝10の2)
最近の世界的なキリスト教会の傾向として、イエスキリストを救い主、つまり自分の主であり従うべきお方としての理解が薄くなっている事を聞きます。自分の一番親しい友人、身近にいて下さる方ではあっても、絶対的に従うべき方、仕えるべき方としては考えられなくなっている、というのです。
確かに礼拝の説教や讃美の変化などを考えても、神を崇めるというより、自分の心が満足したり楽しめたり感動する事が求められているかな、と考えさせられます。ローマ軍の百人隊長コルネリオは、異邦人ではあっても神に対する敬虔さは全家族だけでなく、しもべや部下にまで影響を与えていました。ペテロがコルネリオの所に来た時、彼はペテロの足元に平伏したとあります。
神に対する絶対的従順は神のことばを伝える者にも及んでいるのを見る時、百人隊長コルネリオが神のことばに奴隷の様に仕える姿を見る思いがします。神の言葉に対して私もそのようでありたいと願います。自分の思いに引きずられる弱さを抱えながらも助けられ、神を崇める一年となります様に。