御言葉メール625
2012年3月24日
「律法の行いによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。」(ガラテヤ2の16)
ルターはビッテンベルク大学での第1回ガラテヤ書講義を終えてから、城教会の門に「95か条の論題」をはりだしたといわれます。それは具体的にはカトリック教会の免罪符販売に反対するものでしたが、その根底にはカトリックの善行による救い、の教えの非難がありました。
神に受け入れられるのは善行ではなくキリストへの信仰であることを理解したルターによって、宗教改革はもたらされました。パウロにしてもルターにしても、律法の行い、善行が大事だとする当時の一般的理解に対して(これは現在においても同じです)神の御心はそうではないと言い切った人達です。もし神に受け入れられるために人間の行いを評価していたなら、これほどの反対に会う事も戦う必要もなかった。
外見の言葉や態度、行為で高い評価を得て認められていても、神はそれで人を受け入れられない。現代に生きるキリスト者の私達の戦いはどういうところにあるでしょうか。人に対して社会に対して、今の自分の思いや行いはどうなのかを吟味しながら戦う所を見極めていけます様に。