金沢聖書バプテスト教会

金沢聖書バプテスト教会は、神の愛とキリストの贖いと聖霊の導きによって真の神様を礼拝する者の集まりです。あなたを心より歓迎します

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御言葉メール626

投稿日:

御言葉メール626

2012年3月31日

「しかし私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。」(ガラテヤ2の19)

パウロは、神に生きるために、律法(自分の行い)に死んだと言います。神に生きるとはキリストを信じて義しいとされる道で、行いのりっぱさによらない、という事です。行いに死んだ、これは現実的にどういう風に考えたらよいのか。自分の思い、状態、行いで自分と人を決定づけてしまわない、といえるかもしれません。

私自身、自分の目に見える状態で自分も人も判断しやすい者です。判断するというのは自分の理想とする状態があるからでしょう。あるべき夫婦関係、親子関係、教会の交わり、健康等々。それらのあるべき状態こそ絶対だとして求めるなら、それは行いを求める事になり、あるべき状態にない自分や人を否定することになります。行いを求めるなら人はその行いに縛られる。

キリストを信じる私たちが求めるのは、キリストに目を留め、ゆだねる歩みです。そこには、どんなに悲惨な状態でも現実を受け入れる力が与えられるでしょう。自分の行いではなく一方的に与えられる恵みによって、人を愛する事を教えられ、善い行いもさせていただけるのです。

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