御言葉メール627
2012年4月7日
「あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行ったからですか。それとも信仰をもって聞いたからですか。」(ガラテヤ3の2)
先週、主人の母が亡くなりました。ずっと義母を介護してきた主人の姉は、もっとこうしてやっていれば、とか、もっと優しくしていればとか新しい下着を着せたのがよくなかったのではないか、とか、自分のやってきた事一つ一つを、93歳の義母の死に結び付けて自分を責めていました。
主人は、それは介護した人の苦しみで、介護しなかった自分達は、もう年だからと言って案外割り切れてしまう、と言っていました。介護はその家庭の事情にあった多様な方法をとるべきですが、確かに主人の言うことは、介護に限らず、全ての事に適用できる真実かなと思います。それにしても姉は、田舎とはいえ一人で数年間、義父母の介護を引き受けてきました。
私などとてもできない介護生活でした。その姉をして、自分のやってきた事への後悔があふれ出す。行いでは決して人は満たされない、と胸が痛みます。律法(行い)は御霊を与える事ができないので、行いで人は永遠に義しいとされる事はありません。キリストへの信頼だけが救いです。