御言葉メール628
2012年4月14日
「キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。」(ガラテヤ5の1)
聖書は、人間の救いにおいて、人間の行いを完全否定します。それでは聖書は、行いについてどの様に教えているのでしょうか。ガラテヤ書においてパウロは、キリスト者のもつ自由との関わりの中で行いについて論じます。律法(規則)は守る事ができたと思う時、安心感と他者に対する様々な思いを引き出します。
できない人への怒り、自分だけしているという不満等。出来なければ、みじめさにつながる。行いに頼る時、妬み、怒り、虚栄、みじめさから抜け出る事はできません。それを聖書は奴隷の状態だというのです。そこに人間の内的自由はありません。しかしキリストを信じて与えられる御霊は、しなければならないという行いではなく、神と人を愛する事を動機とする行いへと私達を導いてくださる。
御霊に導かれる行いは妬み、怒り、虚栄、みじめさから解放する。パウロはこれを自由と言うのです。御霊は必ず私達を導かれる。葛藤や逆らう事があっても、御霊は赦し、平安を与え、善を行わせてくださるのです。