御言葉メール639
2012年6月30日
「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。」(ピリピ1の21)
私はかつて、上記のみことばを読んだ時、この様な心境になれたらクリスチャンとして幸せだろうな、などと考えていた事がありました。まっすぐにキリストのみに向かうパウロの姿勢に衝撃を受けたのです。
様々な思い煩いを持つ私には、この様な信仰の告白は到底無理だろうと思っていました。しかし同時に、できないけれどその様に生きたいという心の奥底の疼きもありました。そこでパウロの歩みを見ていくと、自分がどんな状態になっても、キリストの事を大胆に語り、キリストの素晴らしさが現される事だけを願っていることがわかります。この文書が牢屋の中で書かれた手紙であることを考える時、死も身近なものだったはずです。
自分がどうなるかわからない状況の中で、神に訴え祈り考えるパウロは、その獄中生活の中で、自分を通して神の素晴らしさが現される事を喜ぶ様にされたのではないでしょうか。私達も今、与えられている生活の中であらゆる事を通して神に向かう時、自分の良いことや悪いことを通しても、神の素晴らしさが現される事を経験させていただけるでしょう。そして、生きる事はキリスト、死ぬ事も益であると告白できるのではないでしょうか。