御言葉メール647
2012年9月8日
「しかし、彼らは牧草を食べて、食べ飽きたとき彼らの心は高ぶり、わたしを忘れた。」(ホセア13の6)
イスラエルの王ダビデは、「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。」と、神なる主を崇めています。目も弱く早く走る事もできない、武器も持たない羊は、羊飼いが草のある所、水のある所に連れて行かなければ、野獣に襲われるか餌が無くて死ぬしかありません。
主は羊を導く羊飼いの様に、目先の事しか考えれない私達をまことの平安と義の道に導かれる。私達の生活の全ては、この方によって満たされているのです。しかし私達はその事を知らないか、知っていても忘れてしまっている。神の事を考えなくても知らなくても一日一日が過ぎていく。困った事があれば、神を求める事から始めるのではなく、手っ取り早く解決できる道を探す。
そうして神を畏れない人間はへりくだる事ができず、高ぶりしかでてこない。神を忘れた結果です。しかし神は、忘恩で一方的に神を無視する人間を、赦し愛する事をやめられない。どうぞ、私達が静まってこの神の愛と赦しを深く思う事が出来ます様に。ダビデと共に、「主は私の羊飼い。」と、全ての必要は神からきていると告白できます様に。