御言葉メール701
2013年10月26日
「私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。」(詩篇16の8)
私は辛い事があったり、悲しみが押し寄せてきたり、後悔の念が強かったりする時、その状態の中にいると、自分がどうにかなりそうだな、と思う時があります。聖書を読んでも集中できなかったり、祈っていても期待できなかったりする。
そういう時、好きなテレビを見たり、雑誌を見たり、おいしい者を食べたりして一時は気がまぎれます。しかし、それはほんの一時で、むしろ心の渇きや空しさがより明らかになってしまいます。神のもとにしか満足が無いことはよくわかっていても、すぐにそこにいけないで、じたばたしている。詩篇の作者は私とは違って、いつも自分の前に主を置いた、と告白します。詩人の心が神に対して向けられていくのです。
その根底には詩人の選択の決断がありました。神に従うという選択です。疲れて祈る気力が無い時もあるでしょう。わかっていても聖書の言葉に向かえない時もあるかもしれない。しかし神は、必ず全ての事柄を通して、遅くても早くても神に従う決断を与えて下さるでしょう。自分ではできないと思う時、それでも主は私達を愛をもって導かれます。私の前に主を置く、恵みを知る者となります様に。