御言葉メール706
2013年11月30日
「私の目はいつも主に向かう。主が私の足を網から引き出してくださるから。」(詩篇25の15)
詩篇の作者は、私はいつも主に向かおう、と決意します。常に主に従いたい、と願う信仰者の決意であり、祈りでもあるのではないでしょうか。私達が、この様な決意をする時は、従うべき神がどの様な方であるのかがわかった時です。
多くの場合、神が自分の願いを叶えて下さる時、その願いが深刻であればある程、その喜びは神に従っていきたいと強く思うのではないでしょうか。詩人の場合は違います。神が罪を持つ自分に歩むべき道を教えてくださるから。自分の罪を教え、それを赦してくださる。神のあわれみと恵みが自分を正しい道に導いてくださる、と確信するので、この神に信頼して従っていこう、という決意です。
だから足が網に捕らえられ、身動きできない状態でも、目を主に向ける。問題の渦の中で、自分ではどうにもならないと思う時、天に顔も心も向ける。正しくない者に正しい神が歩むべき道を教えてくださる、という確信は、自分の思いに執着する事から守るでしょう。神の導きのみを待ち望む決意が与えられるのではないでしょうか。神に従う、という決意のある所、からみついた網から神が引き出して下さるあわれみを経験するでしょう。