御言葉メール762
2015年1月10日(記:辻嵐桂子)
「その人は、水路のそばに植わった木のようだ。
時が来ると実がなり、その葉は枯れない。
その人は、何をしても栄える。」(詩篇1篇3節)
詩篇第1篇では、主に信頼する正しき者の幸いが、悪者の末路と対比されている。
「水路のそばに植わった木」とは、水路のそばに移植され木のことだそうだ。
イスラエルのような乾燥地帯では、雨季以外は大部分が砂漠となり、自然のままの草木は熱風にさらされ枯れてしまう。しかし、水路のそばに移植された木は、乾期でも水の供給を受け、青々と茂っている。神に信頼する者はこのように祝福を受ける。
私たちはしばしば逆の光景を目にする。悪者が栄え、正しい者が虐げられているのを。だが「時が来ると」それは必ず逆転する。神が全てを正しくさばかれるからだ。
私たちは移植された木と同様に、かつては神から離れ、罪のゆえに滅びるばかりの者であったが、今は恵みによって、いのちの源である神に繋ぎ合わされ、そのいのちの恩恵を受ける者とされたのだ。
「わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」(ヨハネの福音書4章14節)