御言葉メール793
2015年8月22日(記:斎藤文子)
「しかし、ダビデは彼の神、主によって奮い立った」(1サムエル30の6)
私達は様々な状況の中で生きています。時には神様の御心と違うかな、と思いながら、また、本当にこれでいいのかなと思いながらズルズルと流された経験を私自身もしてきました。ダビデはサウル王に追われ、イスラエルの敵国であるペリシテのガテの王アキシュのもとに集団もろとも身を寄せます。
ダビデについてきた集団を養う必要からペリシテの町を襲い、アキシュに、ばれない様に皆殺しにします。アキシュにはイスラエルの町々を襲ったと偽り、信じさせます。しかし神の民の敵であるとはいえ、ペリシテに住みアキシュの信頼を裏切る。追われるダビデにとってそれしか道がなかったのだろうか。
そういう生活を続けたダビデに、今度は自分達が住んでいた町が襲われ、家族達が連れ去られる。その時居なかったダビデと部下達の悲嘆はどんなだったでしょうか。自分達がしてきた事を今度は自分達がされた。やり場のない怒りはリーダーのダビデに向かう。殺されそうになったダビデは、アキシュを裏切ってペリシテを襲う時にはなかった神に向かう。
そして主によって奮い立った。家族を取り戻しただけでなく、ダビデはズルズルと流されていたペリシテでの生活からも開放されるのです。自分でどうしてよいかわからない時も、神は主によって奮い立てる様に哀れんでくださるのです。