御言葉メール763
2015年1月17日 (記:斎藤文子)
「あなたは、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地を、はるかにながめることはできるが、その地へはいって行くことはできない。」(申命記32の52)
還暦を過ぎた私は(年齢ばかりではないかもしれませんが)、今まで何をしてきたのだろうか、などと考える事が多くなってきました。
自分の中で納得できるようなものが何もなく、全てが中途半端に思えて仕方のない時があります。神が約束された地に入るために、モーセは苦労してイスラエルを導いてきました。そのモーセに神は、あなたは約束の地に入る事はできない、と言われる。理由は、モーセがイスラエルの人々の前に神を聖なる者としなかった、という罪のためでした。
しかし約束の地に入れないからといって、モーセは神とイスラエルを恨まない。主のみ完全、真実で正しいと信じていたからです。そして、モーセの信仰を受け継いだヨシュアをリーダーとしてイスラエルは約束の地に入っていきます。ある聖書註解者がこのモーセの信仰を「捨石となって生きる恵み」といっておられました。
私達も、それぞれ与えられた人生が自分の思い通りにいかなかったとしても、その場で主に従い続ける恵みにあずかるなら、失敗や無駄、中途半端に思えたりすることでも、次のステップや次の世代のため、捨石となって生きる信仰といえるのではないでしょうか。