御言葉メール773
2015年3月28日(記:斎藤文子)
「エフタは主に誓願を立てて言った。」(士師記11の30)
私達はどうしようもない困難に見舞われる時があります。神を信じている者は、勿論その時、祈ります。しかしその状態が深刻になればなるほど、神に助けを求める祈りを越えて、「もしあなたが・・してくださるならば、私は・・します 」という誓いをする事がないでしょうか。
聖書に出てくるイスラエル人エフタという人物は、まさにそうでした。極めて困難と思われるアモン人との戦いで、彼は神に、もし戦いに勝たせてくださるなら自分の家の戸口から迎えに出てくる者を、いけにえとして捧げます、と誓願をたてるのです。勝利して帰ったエフタを迎えたのは、なんと愛する一人娘でした。苦悶しつつもエフタは誓願通り、娘をいけにえとして殺します。
誓いそのものが悪いわけではありませんが、人間をいけにえとして捧げる事を神は断じて許されない。エフタは神を信じながらも異教の影響を受けてしまっていた。エフタや私達は切羽詰ると、この様に神と取引する気持ちが強くなります。しかし取引できるほど、神と私達は対等ではない。神は悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、一切合切の神と人に対する罪を赦される絶対恩寵の神です。
「神が私のために戦ってくださる」と信じて、取引ではなくひたすら信頼の声をあげれる者であります様に。