御言葉メール786
2015年7月4日(記:辻嵐桂子)
「彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見栄えもない。
彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。」(イザヤ書53章2ー3節)
「勝ち組」「負け組」という言葉がある。成功し裕福な暮らしをしてる者が勝ち組で、そうでない者は負け組というのが世の評価である。
上記のみことばは、メシヤ預言として有名な箇所であるが、その姿は負け組の最たるものと言えよう。
主イエス・キリストは、私たちが「負け」と呼ぶ人生を自ら歩まれた。その最期は十字架刑であった。
世の勝ち組への羨望がないわけではない。だが真の勝利者は誰なのか?
キリストは十字架上で死なれ三日目に甦られた。死に対しても世に対しても、高らかに勝利宣言をなされ、私たちにも勝利を約束して下さったのではないか。
「わたしはすでに世に勝ったのです。」(ヨハネの福音書16章33節)
「世に勝つ者とは誰でしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。」(ヨハネの手紙第Ⅰ5章5節)