御言葉メール816
2016年1月30日(記:辻嵐桂子)
「人々は、その教えに驚いた。その言葉に権威があったからである。」(ルカの福音書4章32節)
ガリラヤで宣教を開始したイエスは、当時の宗教指導者たちがしたように、安息日には会堂で人々を教えられ、人々はその教えに驚嘆した。
マタイの福音書の平行記事には「イエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである。」と記されている。
当時の律法学者たちは、神のお言葉そのものよりも、先祖たちの言い伝えや人間の便宜を重んじ、常にイエスと対立した。
イエスの言葉には実行力が伴っていた。。お言葉によって悪霊を追い出し、熱をしかりつけ病を癒し、時には風をしかりつけ嵐を静められた。
「光よあれ。」すると光があった(創世記1章3節)
イエスの言葉は、創造者である神のお言葉と等しい権威を持っていた。
今日私たちは聖書に書かれた御言葉に同様の権威を認め、また意識しているだろうか。ここに書かれた御言葉はすべて実現すると信じ、またそにように生きているだろうか。
ともすれば日常のあれやこれやに振り回され、人の便宜ばかりを優先してしまっている自分がいる。
しかし、御言葉にこそ力があり、私を生かしてくださるものだということうを常に覚え、御言葉に耳を傾けていきたい。
「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉による。」(マタイの福音書4章4節)