御言葉メール830
2016年5月7日(記:辻嵐桂子)
「ハレルヤ。神の聖所で、神をほめたたえよ。
御力の大空で、神をほめたたえよ。」(詩篇150篇1節)
個々の詩篇のテーマはさまざまであるが、その多くは「嘆きのうた」である。著者たちが、苦難の中で自らの嘆きを注ぎ出し、神に訴え歌ったものだ。
だが、詩篇全体は「テヒリーム」(「たたえ」を意味するヘブル語の複数型) で呼ばれる。それは、嘆きの中でさえ、神は神としてたたえられるべきお方であり、必ずや訴えに報いて下さるお方であるとの信仰が土台にあるからである。
この最後の詩篇である150篇は、「たたえ」に満ちている。あらゆる楽器が用いられ、天にも届けとばかりにうたわれるたたえのうたは、まさに詩篇全体を締めくくるにふさわしい頌栄である。
私たちも人生において、数々の局面に遭遇する。喜び感謝する日もあれば、苦しみ悩む時もある。時には神に呟き、あるいは憤慨し、不信仰に陥ることさえある。
しかし、天地の創造主である神に私たちは選ばれ、その奇しいみわざによって贖われたのである。この神の啓示を持つ限り、私たちはどのような経験を通しても、最期には神をほめたたえるようにと導かれるのだろう。それが神が私たちを造られ、贖われた目的なのだから。
「みこころによりご計画のままをみな行う方の目的に従って、私たちはあらかじめこのように定められていたのです。それは、前からキリストに望みを置いていた私たちが、神の栄光をほめたたえるためです。」(エペソ人への手紙1章11ー12節)