御言葉メール856
2016年11月05日(記:辻嵐桂子)
「人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。」(箴言14章12節)
宗教や思想は、よく道にたとえられた。
ある人が言っていた。「信仰は山登りに似ている。頂上に続く複数のルートは、どこを通っても同じ頂上に到達できるように、どんな宗教も思想も、目的地は同じであって、結局のところひとつの真理を追求しているのだ」と。
本当にそうだろか?それは、「ひとつの真理など存在しない」と言うことと等しいのではないだろうか。
昨今の風潮は、真理を追求するというよりは、幸福の追求である。行き着く先が何であるかということより、道中いかに楽しみ、多くのものを得るかが重視される。
「まっすぐに見える道」とは今日的に言えば、合理的で生産的な手段であったり、自分を幸福にし、楽しませてくれる何かなのかもしれない。
価値観が多様化する現代、これが唯一の真理であると主張する排他的な宗教は、ますます受け入れられにくいのかもしれない。
だが多くの人が自分の歩んでいる道を知らない。何処に向かっているのかを知らないのである。
もし道の先にあるのが死と滅びであると知ったなら、誰もが必死であらがい、真実の道を探すであろう。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネの福音書14章6節)