金沢聖書バプテスト教会

金沢聖書バプテスト教会は、神の愛とキリストの贖いと聖霊の導きによって真の神様を礼拝する者の集まりです。あなたを心より歓迎します

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御言葉メール945

投稿日:

20018年9月8日(木:斉藤文子)

「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私達の罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」第一ヨハネ4の10

現代の不確実な混沌とした中で何が愛なのかもわからなくなっている時代に、これが愛だと、聖書は断言するのです。ここには迷いの一片もありません。作者であるヨハネは自分の感情ではなく客観的事実を指して、これが愛だと言います。罪を持つ人間は神から裁かれなければなりませんが、神は人間を裁く事をしないで、神の独り子を人間の代わりに罰せられた。これが愛でありここにしか愛はないのだと。

先ず神がおられこの神が愛なのです。愛が神ではない。それは同時に私達人間のうちには愛がないという事を決定づけます。私達が神に働きかけるのではなく、神が先ず私達を愛して下さらなければ何も始まらない事を教えてくれるのではないでしょうか。

神からの働きかけという受け身の中で、私達は愛がどういうものであるかを知るのです。この事は私に、先ず神のことばに深く沈潜することを教えます。人間の側の能動的な働きかけではなく、先行的な神の愛であれば、先ず神のみことばの中に自分を置く。問題、悩みを抱えていると、その事のみに思いが捕らわれてしまう自分にとって、それは慰めでもあります。その問題を置いておいて、神のことばを先ず考えていいのだ、いや考えなければならないのだと思えるだけでも心が解放されます。なかなか私自身そうなりません。でもその現実の中で解決の方向を示すのです。

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