金沢聖書バプテスト教会

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御言葉メール968

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御言葉メール968

2019年2月23日(記:辻嵐桂子)

イエスは、ほかの大祭司たちのように、まず自分の罪のために、次に民の罪のために、毎日いけにけをささげる必要はありません。イエスは自分自身をささげ、ただ一度でそのことを成し遂げられたからです。(ヘブル人への手紙7章27節)

旧約聖書には様々ないけにえの規定がある(レビ記1ー5、16章参照)。
生け贄とはなんと血生臭い、原始的な宗教かと思われるかもしれない。
しかし、犠牲なしに罪の贖いはない。罪の贖いなしに罪人は、神に受け入れられることが出来ないというのが、聖書の一貫した主張である。
旧契約(旧約聖書)においては常に、神に近づくため(すなわち礼拝毎)に動物の犠牲が必要とされ、神と民との間に立って儀式を行う大祭司でさえ、まず自分自身の罪の贖いのため動物の血を流し、それから民のための贖いをしたのである。

だが、新しい契約の仲保者であるイエス・キリストは、唯一人罪のないお方なので、ご自分のために罪の贖いをする必要がなく、また、ご自身を傷のない完全ないけにえとしてささげた(十字架上で血を流した)ことにより、旧契約のいけにえの規定をすべて廃止したのである。

私たちクリスチャンは、キリストの犠牲故に、礼拝で動物をいけにえとしてささげる必要はないし、また、いつでもどこでも、イエス・キリストの御名によって、神に祈ることができる。
私たちの罪はイエス・キリストによって完全に贖われた。
それは歴史上ただ一度なされ、その効力は永遠である。

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